秋日和

一人暮らしの独り言を綴りたいと思います。

日長で晴れ間があれば心が晴れる

お彼岸を前に随分日が長くなってきました。夕方5時、

まだ夕日が望めて明るいことが嬉しく感じられます。

弟の病院へ着替えの交換に行ってきました。

途中、並木の辛夷が咲いていて、季節の移ろいを感じました。

夫の入院中だった

3年前からまだ変わらず家族の面会は叶いません。

長い長いコロナ禍です。

マスクは外せても面会できるのはまだまだ先のように思います。


もうすぐ50年続いたマイカー運転をやめます。

危うい行為は早目にストップさせて子どもたちにも安心してもらおうかと。

これからはバスと徒歩。

健康になれそうです。


昨日友達と会話をしていると元気になったと言われました。

きっと弟のお世話とか心配事が私を奮い立たせているのだと思います。

弟が実家近くでいて苦労をするより私の少しの労力の方が遥かにマシだと思っています。


ノホホンではなくしっかりと生きていかねば。

実家事情

昨年末実家の主、長兄が死別しました。

3ヶ月の入院期限が過ぎると退院後はどうするかということになった時親類は施設に入るのがいいという意見でした。

それは同居している家族、妻、長男、3男には介護能力が無いことがわかっているからでした。

しかし義姉はお金がないからと施設入居は反対しました。


介護を理由にN家に引っ越すと言い始めたのです。

介護には4件の家で一番適切な環境だったからです。

姉はN家でなければ介護はしないと言い、兄は承諾しました。


ハウスクリーニングを雇い、

汚した弟が悪いと支払いは弟に任せ、家族は全員で引っ越してきました。


いざ引っ越しを達成できると義姉は義兄の介護はしないと公言しました。


朝食、昼食は弟に任せ、夕食は宅配弁当を取っていました。


2ヶ月過ごして兄は亡くなりました。

義姉に対して愛なのか諦めなのか。自責なのか。

兄は義姉を悪く言ったことはありません。

介護とかできない人なのだと言いました。


義姉が

子供の嫁に夫のことを

早くどうにかなって欲しい。

面倒なんか見ない。


といったそうで、お嫁さんはびっくり。

どうしたらいいんだと心配していました。


結果、そのお嫁さんは実家とは距離をおき殆ど寄り付かなくなっているそうです。


その兄のお葬式の前に弟が骨折したのです。

実家の事情

私の実家は現在空き家になっています。

その隣には兄の結婚時に建てた一軒家。

もう一軒N町にある家。

M市にある家。

M市の家は兄が買った家ですが、それ以外は父が建てたり買ったものです。

4軒の家が在りながら使用しているのはN家のみ。


そこは両親が弟に死ぬまで住んでなさいと言っていたものです。


しかしN家は買ったとき長男孫の名義にしていたのです。

最後は長男孫に行くものだからと思ったのでしょう。


両親が亡くなったとき一番にN家を長男家族が欲しがりました。


私は弟がいる間は弟に住まわせてほしいと頼みました。

両親の願いを聞いていたからです。


兄は承諾してくれましたが、

義姉は納得できずに再三弟に

出ていくようにと言っていたようです。

この家はうちの子供名義なのだからうちの物だと主張します。


情のある人であれば独り身無職のシニアを追い出すような事はしないとおもうのです。


おそらく相当ごねられたのでしょう。

兄は母の死後M市に一軒家を買いました。

おそらく母の遺産で義姉を落ち着かせようと思ったのだと思います。

私は長兄が弟の面倒は見ると言ってくれたので母の遺産は辞退しました。


我が家はみんな馬鹿だなと書いていて気が付きました。

自分の思うようには何も動いてはくれませんでした。